ソニーのプレイステーション・ポータブルの興亡

はじめに

プレイステーション・ポータブル (PSP) は、携帯ゲーム機市場でNintendoの長年の支配に挑戦しようとしたソニーの野心的な試みでした。2004年に発売されたPSPは、それまでの携帯機には見られなかった性能とマルチメディア機能を備えていました。ハードウェアの革新からマーケティングの問題まで、PSPの物語は栄光と失望が交錯する一品です。ゲーム業界に深い影響を残しました。

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ソニーの携帯機への野心

ソニーの携帯ゲーム機への取り組みは、PlayStation Oneのメモリーカードとミニゲーム機を組み合わせた「Pocket Station」から始まりました。しかし、バッテリー寿命の長さと膨大なゲームライブラリを持つNintendo Gameboy シリーズの圧倒的な支配力が大きな課題でした。そのため、ソニーはPS2に迫る性能を持つ携帯PlayStation機の開発に乗り出しました。

PSPのマルチメディア機能

PSPの最大の特徴は、ゲームだけでなく他の機能も備えていたことです。UMD(Universal Media Disc)光学ドライブにより、映画やミュージックビデオの再生も可能でした。さらに、専用メモリースティックデュオを使ってゲームやメディアをダウンロードできたため、幅広いコンテンツを持ち運べました。動画再生で4-5時間、音楽再生で8-11時間と優れたバッテリー寿命も魅力でした。

PSPのハードウェアの進化

PSPのハードウェアは何度も改良を重ね、性能が向上していきました。初期モデルのPSP 1000は大型バッテリーを搭載していましたが、一部の画面品質に課題がありました。PSP 2000の「スリム」モデルではこれらの問題が解決され、さらにPSP 3000の「ブライト」モデルでは画面品質が更に向上しました。

PSP Go とPSP Street

ソニーは革新を続け、UMDドライブを廃したデジタル専用機「PSP Go」を発売しました。しかし、完全デジタル化への消費者の不安から販売不振に陥りました。一方で、Wi-Fiやステレオスピーカーを削除するなどコストカットを図った「PSP Street」は、特に一部の地域で低価格と高い性能から人気を博しました。

PSPの遺産とニンテンドーDSとの競争

PSPは8000万台以上を売り上げ、任天堂以外の携帯ゲーム機で最も売れ筋でした。しかし、1億5400万台を売り上げたニンテンドーDSには大きく水をあけられてしまいました。DSの幅広い顧客層、豊富なゲームラインナップ、低価格帯が背景にありました。

まとめ

プレイステーション・ポータブルの遺産は複雑なものです。革新的な side を持ちながらも、任天堂の携帯機支配に終止符を打つことはできませんでした。しかし、携帯ゲームとマルチメディア体験の未来を切り開いた功績は否定できません。

ポイント:

  • 携帯ゲーム機市場への野心的な参入となったPSP
  • UMDディスクやメディア再生など、PSPのマルチメディア機能
  • 初代モデルからスリムやブライトへと進化したPSPのハードウェア
  • デジタル化に挑んだPSP Goと、低価格のPSP Street
  • PSPの堅実な売上ながら、ニンテンドーDSに屈した携帯機市場
  • PSPが残した遺産と、携帯ゲーム業界への影響
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